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イ・クィニョハルモニ逝去のおしらせ



14日明け方、ヨンインの療養病院にいらっしゃったイ・クィニョハルモニがお亡くなりになりました。

ハルモニは1926年に忠北清州で生まれました。17、8歳の頃、里長がやってきて、中国に行けばお金をたくさん儲けることができるといいました。
オモニは嫁に行かなきゃならないのにどこに行くのかと言いましたが、里長はどこにだって思いのままに行き来できるんだから、何の心配があるものかと答えました。
そして、次の日また来て何人行くかもう決められ、配属されているのだから、行かなくてはいけないといって強制的に引っ張って行かれました。

ハルモニはそんなふうにして中国河北省に引きずられて行き、過酷な性奴隷被害を強いられました。
解放を迎えたものの、そこから故郷に帰る人はいませんでした。それでハルモニも帰ってくることができないまま中国で婚姻もして人生を送りました。

北京で数年の間、ひとの家の子守りの仕事をしたり、縫製工場に入って15年間仕事をしたりしました。
ミシンの前にあまりに長く座って仕事をしたため、手も脚も問題のないところはありませんでした。
ずっと故国を懐かしがりました。韓国と中国の国交がない時期、外で朝鮮語が聞こえれば追いかけていきました。

韓国からもらえる支援金も当時は何とか生活できる状況だったので、韓国が厳しいときに私が国のために何か良いことをしたわけでもないのに、なぜ国からお金をもらうのかと受けとりませんでした。
中国での長い人生を後にして2012年韓国に戻ってこられましたが、そのまま療養病院生活に入りました。
活動家たちが訪ねて行き、一緒に近所で食堂に行って食事をしたり、散歩もしたりしてともに笑ったりもしました。

16年頃から健康が悪化し、永らく苦痛の人生を耐えられました。
そして今日明け方永眠されました。
ハルモニ、もう苦しみのない安らかで自由な世界に旅立ってください。
イ・クィニョハルモニのご冥福をお祈りします。

ー正義記憶連帯ー








金順玉(キム・スノク)ハルモニ逝去のおしらせ



〜 「正義記憶連帯」ブログより 〜

本日(12月5日)午前9時頃、日本軍性奴隷被害者金順玉(キム・スノク)ハルモニがお亡くなりになりました。

金順玉ハルモニは1922年ピョンヤンで生まれました。
家が貧しかったため7歳の時から他人の家で暮らし、子守などをしながら実家の助けをしていました。
20歳の時、工場に行けばお金を儲けることができるという言葉に、他の女性たち30〜40名とともに中国に連れて行かれ、黒竜江省にある慰安所で残酷な性奴隷被害を受けました。

解放後、中国人の家に隠れて何とか逃げて故郷に帰ろうとしましたが、その方法さえ分からず中国に留まるほかありませんでした。
そして2005年になってようやく祖国に帰ってくることができたのです。

金順玉ハルモニはナヌムの家で生活されながら、日本軍性奴隷問題解決のために熱心に活動をされました。
国内や海外にも行かれて証言活動をされ、水曜デモにも粘り強く参加されて声をあげました。

長い闘病生活にあっても訪ねると分かってくれて手を握り、微笑んでくださったのに、最近になって健康が悪化、お亡くなりになりました。

金順玉ハルモニ、どうか安らかにお眠りくださるよう願います。
ハルモニのご冥福をお祈りいたします。

葬儀はソウル・アサン病院で執り行う予定です。








ハ・ジョムヨンハルモニ逝去のおしらせ



みなさま


また、一人の日本軍「慰安婦」被害者ハルモ二の訃報をお伝えすることになりました。
2018年10月26日、午前6時8分、ハ・ジョムヨンハルモ二が逝去されました。

ハルモ二は、1922年慶尚南道ハドンで生まれました。15歳の時に日本の大阪にいるお姉さんのところに子守のため行くことになりました。
5カ月が過ぎたころ、お母さんに会いたくて家の前で泣いていたところ、隣のおばさんに韓国に連れて行ってあげると言われ、数日後お姉さんに隠れて約束の場所に行きました。ところがそこで日本人女性に引き渡されて台湾、澎湖島、海南道、香港、中国広東、インドネシアのスマトラなどに連れて行かれて残酷な日本軍性奴隷生活をしなければなりませんでした。

解放後、故郷には戻れず1946年釜山に帰国しました。

1992年、挺対協に被害者として申告した後に水曜デモや人権キャンプにも参加されるなど活動されました。 2016年からナヌムの家で入所生活されていました。
高齢にもかかわらず歩行補助器を押しながら歩行運動をされ、健康管理を一生懸命されましたが、最近健康状態が悪化し天国に行かれました。

ハルモ二、すべての痛みと苦痛を忘れ、どうぞ安らかに。

ハ・ジョムヨン(河占連)ハルモ二のご冥福を心よりお祈りいたします。








曹黒毛(ツァオ・へイマオ)さん 逝去



7月24日午前10時ごろ、中国山西省陽泉市盂県の曹黒毛(ツァオ・へイマオ)さんが自宅で病気のため亡くなられました。 ドキュメンタリー映画「アポロジー」に出演され、日本軍に暴力的に連れて行かれた記憶を生々しく証言されました。


2018年08月03日付 人民網日本語版 より

 http://j.people.com.cn/n3/2018/0803/c94473-9487534.html








金福得(キム・ボクトゥク)ハルモニ逝去のおしらせ



7月1日早朝、韓国慶尚南道統営の高齢者病院で金福得ハルモニが持病により息を引きとられました。

101歳になられるハルモニは1918年統営で4人兄妹の末っ子として生まれました。12歳の時父親を亡くしたハルモニは22歳で工場に就職させてやるという言葉に騙されてフィリピンなどに連れて行かれ、過酷な性奴隷生活を強いられました。

7年後、日本の敗戦によってやっと帰郷することができました。

ハルモニは国内、海外の証言集会で証言、水曜デモや被害者人権キャンプなどにも参加、日本軍性奴隷問題解決運動に連帯、積極的に行動されました。

ハルモニはまた、2012年、市場で魚の商売をしながら貯めたお金を統営女子高に奨学金として寄付、2013年には日本軍「慰安婦」歴史館建設基金として2千万ウォン(約200万円)を寄付するなど熱心に社会活動をされました。

2010年に来日、院内集会後に関西にも立ち寄られ、交流したことが懐かしく思い出されます。

心よりご御冥福をお祈りします。

韓国の生存被害者は27人になりました。









チェ・ドンネハルモニ 逝去



皆さま


4月23日午前10時にソウルで暮らしていたチェ・ドンネハルモニ(97)が亡くなられました。

苦痛と痛み、すべて忘れて安らかに眠られるよう願います。
ハルモニのご冥福をお祈りします。

遺族のご意向で葬儀は非公式で執り行われます。

韓国にいらっしゃる生存者は28人になりました。
被害者が一人でも多く生きていらっしゃるうちに 一日も早く日本政府が日本軍性奴隷制犯罪を認め被害者に公式謝罪・法的賠償することを求めます。

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子








安点順ハルモニ 逝去



3月30日、韓国水原にお住まいだった安点順ハルモニがお亡くなりになりました。
享年90歳でした。
14歳で連行され、中国の慰安所で4年間にわたって性奴隷生活を強いられました。
想像を絶する苦痛の体験は解放後もハルモニを苦しめましたが、晩年、支援者らと出会い、平和と人権のための活動に参加し、笑顔も見せてくれました。
蝶のように翼を広げて飛び立たれたハルモニ… どうぞ安らかにお眠りください。
韓国の生存者は29名となりました。



ハンギョレ新聞より
 [フォト]“慰安婦”被害者 アン・チョムスンさんの最後の夏

 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/30175.html










挺対協より訃報がありました



皆さま


ナヌムの家に暮らしていたハルモニが 2月14日明け方に亡くなられました。

ハルモニは 1945年強制動員され苦痛の生活を送り 解放後、故郷にもどり 2012年からナヌムの家で生活されていました。

ハルモニ
苦痛をすべて忘れ 安らかにお眠りください。

ご冥福をお祈りします。

韓国挺身隊問対策協議会






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