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第150回 大阪駅前水曜集会






日  時 : 2019年2月6日(水) 19:00〜
会  場 : ヨドバシ梅田前

【報告】


2月の大阪水曜集会は、始まって第150回目の節目であるとともに、1月28日に亡くなった李ハルモニと金福童ハルモニの追悼集会として開催しました。




金福童ハルモニの略歴を記した資料や、力強く腕を振り上げ「ファイティン」と叫ばれる写真を準備しました。李ハルモニはお名前を公表されませんでした。正義連の活動家がお訪ねすると喜ばれ、別れた後にも家にちゃんと着いたのかと確認の電話までくださったという李ハルモニ。名前も写真もお残しにならなかったハルモニのことを私たちは胸に刻みたいと思います。 会のはじめに、司会からお二人のハルモニの訃報を紹介し、黙とうの時間を持ちました。参加者は目を閉じて冥福を祈り、きっとハルモニ方の思いを引き継ぎます、見守ってくださいと、お誓いしました。




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「水曜デモの歌」のあと、関西ネットから、1月28日から2月1日まで執り行われた金福童ハルモニの市民葬について報告をおこないました。金福童ハルモニは1992年3月、韓国の水曜デモがスタートした時期に名乗り出られ、それから27年間、休むことなく街頭に立ち、解決運動をリードして来られました。世界各地を回って日本政府の心からの謝罪と賠償を訴え続け、2013年に橋下市長の暴言に抗議して来日された時は、吉元玉ハルモニと共に「何度でも語る」と証言をされ、会場となったドーンセンターのホールは多くの市民たちで溢れかえりました。その後も武力紛争下の性暴力被害者支援をはじめ、朝鮮学校に学ぶ在日の子どもたちへの支援など、平和と人権を実践し、差別や戦争のない、二度と性暴力被害者を生まない世界をつくるために生涯力を尽くされました。葬儀では大統領をはじめ、全国から訪れる市民らの列は途切れることなく、2月1日の出棺、日本大使館前までの行進と市民葬には1千名が参加したことが報告されました。私たちもハルモニたちの後に続いて、あきらめることなく、女性の人権が守られる社会をめざしていこうと訴えました。

そして、金福童ハルモニを偲ぶ参加者からの発言が続きました。




その後、いつもの「パウィチョロム」、水曜ダンサーズがずらりと並んで踊りました。




次に「教科書問題」で「あぶない教科書 おおさかの会」がアピール、大阪府・市が2019年度から実施している独自テストの結果を校長や教師の人事評価に反映させるという決定について、子どもをテストで追い詰めたり、成績の悪い子どもを排除することになりかねず、本来の学力テストの主旨からも外れ、子どもたちに負担を強いるものだと厳しく批判しました。また、歴史教育においてもあったことなかったことにし、事実を捻じ曲げようとしていると指摘、過去を忘れた者に未来はないと断じました。




「性暴力を許さない女の会」からは、性暴力被害者をさらに追い込む社会のありようを強く批判しました。男性が脅かされて金品を奪われても誰も被害者を責めないのに、女性が性暴力にあえばなぜ抵抗しなかったのかと被害者の落ち度を問う。実際抵抗したり声をあげて殺された事例も数多くあると、数字や事例をあげて説明、大いに納得させられました。

若者からのアピールは、世界の潮流となっている「性行為における同意」の必要性や、最近起こった雑誌「SPA」の「やれる女子大生」特集に対して抗議行動を起こした女子大生をはじめ、若者たち自身が声をあげはじめていることに希望があると話しました。




今回は150回ということで若者たちの有志がプンムルを演奏してくれました。2月の夜空に響き渡ったアリランの調べは、遠くに行ってしまわれたすべてのハルモニたちに届いたでしょうか。




いつものようにシュプレヒコールをあげて、第150回水曜集会を終えました。



日本軍「慰安婦」・徴用工問題「解決済み」のウソ
〜日本政府は加害責任を果たせ〜






日  時 : 2019年2月9日(土) 14:00〜
会  場 : ドーンセンター 1F パフォーマンススペース           

【報告】




丹羽雅雄弁護士


日本が朝鮮半島から連行し強制労働をさせた人々は、66万人以上(1945年厚生省調査)とも72万人以上(1947年頃大蔵省調査)とも言われます。しかし、冷戦構造下で日本の「侵略戦争と植民地支配の責任」は封印され、今日に至っています。

「1965年の日韓請求権協定には、請求権に関する問題が『完全かつ最終的に解決された』とあるものの、請求権の原因は明記されず、何が解決されたかは不明確。そもそもこの条約は、日本政府が36年間の植民地支配を合法とする立場で結んだもので、預金など法律上の合法部分を前提とし、植民地支配責任や戦時における人権侵害は未解決の問題である」と、丹羽弁護士は指摘されました。そのことが、「徴用工」とされた人々の長い闘いを経て、2012年韓国大法院の「植民地支配に直結した不法行為による損害賠償請求権が、請求権協定の適用対象に含まれていたとみることは難しい」という判決を生みました。そして、2018年の、日本企業に対し「元徴用工」への賠償を命じる大法院判決へとつながったのです。  

この判決に対して、日本政府は「国際法上ありえない」と非難をしていますが、1963年、原爆被害に関して「サンフランシスコ平和条約は、日本国民の米国に対する損害賠償請求権を放棄したものではない」という立場を明確にしており、日韓請求権についても1991年の国会で、外務省条約局長が「個人の請求権そのものを消滅させたわけではない」と述べています。  

丹羽弁護士は、「過去の歴史と向き合うことは未来への責任を果たすこと」という言葉で話を締めくくられました。  




市場淳子さん


続いて市場淳子さんから、広島三菱徴用工被爆者の裁判闘争の報告がありました。この闘いは、ソウルに初めてできた地下鉄で三菱製の車両が走るのを見た被害者たちが「韓国原爆被害三菱徴用者同志会」を結成したことから始まったもの。判決後、和解に向けた話し合いが続いているものの、三菱重工は「支援者とは会うが、原告とは会えない」と言っているとのこと。

政府や日本企業に過去の歴史と向き合うよう求めることが、私たち市民の、未来への責任ではないでしょうか。

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